みちのく歴史人物資料館


実家の近くに、こんなのができていた


青森県の歴史上の人物資料館である。メーンは、食糧難を救うために、戦時中から米の品種改良を行った、田中稔氏。
東北地方における幾度もの飢饉の歴史を展示しつつ、田中氏の偉業を紹介している。

しかし、資料を読むと、飢饉にあった百姓がどういう状態だったのかよくわかる。餓死者が多数で、村がなくなった場所もあった。種籾まで食べ尽くし、草木、はては土の食べ方まで資料として残る。それだけではない。死体の貸し借りまであったという。人肉を、食料としていたのだ。

身売りはもちろんだが、ひとの肉を食べることすらしなくてはいけなかったほどの飢餓状態とは、すさまじいと思う。これは、小説ではなく現実のことだったのだ。しかし明治に入るとそれはなくなっているようだ。が、人身売買はまだあったという。

飢饉における為政者の対応も資料にはある。餓死者を多数だしてしまうのは藩の恥だとばかりに、「死者なし」と幕府に報告した人物もいるとか。それでも、歴史を学んだ藩主は、いろいろな対処方法をとっている。

「歴史に学べ、間違いを繰り返すな」とはこのことだね。

さきの田中稔氏。冷害に強い稲「藤坂5号」を作り上げ、昭和49年から54年に中国と稲作技術交流をしている。中国大陸には遊牧民もいて、稲作とは相容れない場所もあると聞いたことがある。今はどうなっているのだろう。

食料の品種改良には、最低10年はかかるという。核兵器開発して、脅して、他の国から食料をうばうつもりなんだろうか、あそこの国は? 放射能汚染された食料は、体によくないよね。チェルノブイリの子供たちは、どうしているんだろうか。

…話が、あさっての方向にいっちゃったな。