「タウンミーティング」(小泉内閣の国民対話)

テーマ<国民保護>


家を出た時、雨は降っていなかった。が、予報は雨模様だったので折り畳み傘を携帯。わたしが東京へいくときは、いつも雨だ。
JRを乗り継いで、午前10時半には上野に着く。さて、ちょっと時間があるから、上野公園の美術館か博物館でも、と思ったのだが興味があるような催し物はやっていない。結局、駅構内を散策して早めの昼食を摂ることにする。さて、特に食べたいものはなし。近くにあったさぬきうどん屋。日頃、濃い味のうどんを食べなれている(いや、自分で作っているのか)わたしにとっては、新鮮な味だった。確かに、ちゃんと出しを取ればこんな味になるのかもしれないなと、納得してみる。食べ終わっても時間が余った。場所を変え、持って行った本『グラン・ヴァカンス』とカプチーノと、喧騒のコーヒーショップの中の孤独感を味わう。


ほどよい時刻になったところで、参加証の葉書の地図で場所を確認し、銀座線へ。えと、どっちだろう。しばし迷う。毎度のことだが。
上野から虎ノ門駅。階段を駆け上がると、雨。やはり傘が必要だった。葉書の地図と照らし合わせて、路を探す。どっちなんだ。ふとみると、同じ葉書片手に、道を探すひとが。みんな、迷っているじゃないですか。いや、結局一番遠回りしたのはわたしのようだ。


どうにか、受付時間45分前に辿りつく。すでに、10数人が三々五々と立って時間待ちしていた。「STAFF」のネームプレートを下げた黒っぽいスーツ姿の若いひとがあちこちに配置され、さすが普通の講演会とは違うと思わざるを得ない。30分前にはマスコミ関係者の入場が促された。まわりを見回すと、先ほどよりは人数が増えているものの、客席がいっぱいになる気配とはほど遠い。

 10分前に、整列するよう支持される。静かな中、スタッフの声だけがエントランスに響く。と、「これ、いつから並んでるんですか」という怒鳴る女性の声。「わたし、ほんとうはもっと前のほうにいたんですよ。ちょっと、ここを離れた間に並んだんですよね。わたしは、もっと前のほうにいたんですからね。前のほうに行きますから、いいですね」田中真紀子さんのような口調である。が、聞いていて見苦しい。案の定、受付が始まるとこの女性は、さっと前のほうに割り込んで行ってしまった。急がなくても、前の方の席は充分確保できる順番ではあったのだが。ちなみに、彼女は質問者として指名され、その自己紹介で大学で教鞭をとっているといった。どこにでも、いますがね、ああいう方は。

 20名ぐらいずつ区切られ、受付で参加証と身分証明書の提示を求められる。傘はクロークに預る。「折り畳み傘は?」と聞くと「大丈夫です」というので、2階へ上がりセキュリティチェックへ。「あ、傘は預けてください」下で言われたのと違う。ペットボトルもチェックされていた。うん、中身がサリンだったら怖いよね。


 客席数500席ぐらいですか。募集人員が500人とあったから。さて、どこへ陣取ろうか。壇上には登壇者3名の方の名前が貼られたテーブル。もちろん、青山氏の名前の見える位置に席を決める。氏はわたしのことは知らないし、わたしが参加していることも多分ご存知ではなかったろうと思う。一読者としては、いちいちお知らせする必要もなかろうと。


 開演まで時間がある。その間、資料のチェック。送られてきた資料、受付で渡された資料。それから、ネットからプリントアウトした「武力攻撃事態等における国民保護のための措置に関する法律施行令」。国民保護を検索していて気がついたのだが、「国民保護法令」廃案を訴えるサイトのなんと多いことか。つまりは<戦争ができる国>にする法律である、というのだが。実際に法令を読んでみて、どこがどう戦争ができるような意味に取れるのだろうかと疑問に思った。どう読んでも「災害時にはどうしたらよいのか」という普通の感覚である。武力攻撃はなくても、地震・水害・火山災害といった自然災害はいつ何時どこにくるのかわからない。災害時には、日本中がどう動くのかといった基本的な動きを法令化しているに過ぎない。阪神淡路大震災地下鉄サリン事件を考えればすぐわかることだ、と素人のわたしでさえ思う。


 開演時間になり、コーディネーターの津田美穂子さんからの諸注意がある。会場は、空席がぽつぽつあるぐらいの出席者数。村田吉隆有事法制担当大臣、麻生太郎総務大臣青山繁晴独立総合研究所社長の紹介と挨拶。内容は1ヵ月後に「タウンミーティング」のサイトで動画公開されるらしいので、わたしのミーハー的な感想だけ書きおこう。お三方とも、テレビで拝見するのとあまり変わらない。どちらかといえば、テレビで見るよりはお若い。村田大臣は優しそうな校長先生といった感じで、麻生大臣はちょっとやんちゃな教頭先生、青山氏は、責任感溢れる学年主任。(でも青山さん、ほんとにお声が大きいんですね。よくお話になるし)11名の方の質問に、ご自身の経験を踏まえた上でのお答えをされる登壇者の方々。


 大臣お二方は、政府の立場方お話をされ、青山氏は国民のひとりという立場からお答えされた。印象的だったのは、麻生大臣が話されている最中に地震があったにもかかわらず、誰も騒がず、麻生大臣も話を止めなかった。「これがロサンゼルスだったら、この会場から誰もいなくなっていましたよ」という麻生大臣の言葉に、会場全体が笑いに包まれる。慣れるということは冷静になれるということ。でも、慣れすぎてもいけない。青山氏の言葉にもそんな意味が含まれていると感じた。危機意識を持つということは、そういうことなんだと。国まかせではなく、自分たちの手で危機管理していかなくてはならないんだと。


 麻生大臣が日本のお城と、欧米のお城の違いを話された。日本の城の城壁は、武士が戦をするために造り、欧米の城壁は街全体を守るために造られたという。この国民保護法案は、国民自らの手で造られるべき城壁ではなくてはならないというのが、参加後の正直な感想である。反抗期の三歳児のように、ただ闇雲に廃案を論じるだけでは、なにものも守れない。


 帰りは、雨が上がっていた。が、地震の影響で、乗ろうとしたJRに遅れがでた。車内アナウンスは、ひたすら謝っていたが、誰一人、気に留める様子はない。本当のところ、電車の多少の遅れは、誰も気にしていないんじゃないのかな、と尼崎の電車事故を思い出していた。