劇団四季『ジーザス・クライスト・スーパースター』

「 Jesus Christ Superstar」というミュージカルの存在を知ったのは、10代のころ好きだった沢田研二のLPレコードでだった。主に、すごい曲があるんだなと、ジュリーの歌よりも、その内容にびっくりした。
その何年後かに、テレビで、イスラエルロケされたという映画を観た。これにも圧倒された。ユダの役者は黒人だった。


あれから20数年を経て、たまたま娘たちが見ていたテレビで、舞台バージョンの「 Jesus Christ Superstar」が放映されていた。次女が気に入り、サントラ盤のCDを購入し、何度も聞いた。


そんな時、劇団四季のミュージカルが地元に来るのだと言う。これは観るしかない。


当日、座席は後方だったものの、舞台全体を見渡すにはよい場所だった。舞台装置そのものは、シンプル。黒子ならぬ白子の役者たちが、大八車を自在に操り舞台を変化させていく。

これは、歌舞伎だ。確かにジャパネスクバージョンである。それでも、イエスやユダの苦悩をないがしろに表現しているところは、微塵もない。イエスが十字架を背負い、舞台を歩くシーンから、十字架に掛けられていく場面は、圧巻でもあった。


でも、である。日本語に違和感を感じてしまうのは、英語として聴きなれてしまったせいばかりだろうか。日本語が英語に劣るとは思わないが、ロックのリズムにあう日本語もあるのではないのかと思う。


高校時代に、劇団四季の「ベニスの商人」を観た事がある。日下武さんがシャイロックを演じていて、圧巻だった。人間の持つ、負の部分がにじみ出ていて、物悲しかったのを覚えている。今回の四季の舞台は、ミュージカルというのもあるせいなのかもしれないが、役者さんそのものに人間臭さを感じることはできなかった。きっと、ハングリーな面をもたない優等生な役者さんが増えたせいなのかなとも思う。

劇団四季の作品は、ミュージカルではなく芝居が観たいな、やはり。