国民保護フォーラム

以前、政府が主催した「タウンミーティング」における国民保護フォーラムには出席したことはあった。もちろん、青山繁晴さんを“おっかけ”ての行動。そのときは、講演ではなく、パネルディスカッション的な感じだった。

今回は、基調講演を青山さんが行った。
もちろん、わたし自身がずっと青山さんの発言をおっかけていているが、それらと何の差異は感じないのは、青山さんの信念がブレていない証拠だろう。

テロとの戦い」が、いったいどういうものであるのか。国民の日常には、いっさい関係ないようでいて、実はそうではない。オウム真理教の行ったサリン事件は、最悪のテロリズムとして国際社会に認識されているのに、日本ではただの事件としか扱われていない愚。

第2次世界大戦での「硫黄島での国民(<日本軍>というよりは、単に徴集された一般人であった)の抵抗」がいったいどんな真実を語っているのか。今、わたしたちが生きていられるという現実には、どんな犠牲が払われているのか。それを真っ向から受け止めたとき、“生きていく”ということの重さ、“簡単には死ねない”という義務感さえ実感する。

ただ、ペシミスティックに考えるなら、現実の世界に対して「どうにもならない虚無感」をもってしまうのは、何故だろう。庶民が、どんなに頑張っても、官僚は庶民のことは考えてくれていないんじゃないのか。

足を骨折していながら、会場内を縦横無尽に歩き、聴衆一人一人に語りかける青山さんの講演スタイルは、実直なまでの誠実さを表している。が、それを受ける側の聴衆は、どう受け止められるのだろうか。

わたしは、受け手側の「理解力」、別に言えば「読解力」といったものが、どのぐらいあるのだろうということに疑念を抱いている。

それは、図らずも自分自身を問うているのだが。

で、市民税を払っていもいないのに、講演を拝聴させていただきました。さいたま市民のみなさん、ごめんなさい。