映画『太陽』

監督はロシアのアレクサンドル・ソクーロフ

高崎市シネマテークたかさきでの上映。昭和天皇を主人公とし、陛下が自らを「人間」と宣言する前後の物語である。苦悩と開放と安堵と、そして悲哀と。

ソクーロフ監督は、11年前の高崎音楽祭に招かれている。監督の映画上映の舞台挨拶やファン交流のほかは、監督の希望のスケジュールで1週間ほどの滞在だったと、ちらしには書いてある。そして、建築現場を見、神社や大木を見、旧軍人に会い、その当時の生活を聞いたという。

そのころ、すでにこの映画の構想を持っていたのだろう、と。

もちろん、脚色された部分は多いだろう。それでも、「日本とは」「日本人とは」と考えてしまう。

そして、わたしにはこの映画が、現代の皇室に対する日本人の意識を問い掛けていると思えた。「ナマズ」の話、皇后の髪の乱れを優しく直す天皇の手。皇太子にお書きになろうとする手紙の内容。

桜の花は手紙の中でしか出てこない。皇居に咲いていたのはバラの花。そして、1羽の丹頂ツル、それが唯一和風を思い起こさせるものだろうか。畳の部屋も着物もない。

日本人のこころとは、いったい、どこに寄り添うものなのだろうか。

イッセー尾形さんの天皇は、威厳とは少し離れた存在として描かれた。これが、タイなら上映禁止となるのだろう。日本が自由民主主義国家であることを実感する。

そういえば、劇団「ザ・ニュース・ペーパー」も『ある高貴なる家族』(タイトルは不確か)という劇で、皇室一家をパロディ化していたが、その際「宮内庁の許可をいただきました」と許可証を掲示してましたっけ。