武士道とは?

自発的に購読しているのだといえば、聞こえはいいが
目当てのひとが執筆しているのでなければ、手にする事は無い。

『Voice』10月号<『葉隠』の誤解を正す>青山繁晴

 それはやはり,「武士道といふは死ぬことと見つけたり」の一節の右にでるものはない。
 まず文章が見事である。私は物書きの端くれとして唸ってしまう。
――――中略―――――
 原文は、端然とした歯切れの良いリズムを打ちながら、きわめて簡素ななかに、
「武士であることの根本思想は何であるかと、わたしはまさしく武士としての自らの生涯を賭けて探し、考えてきたが、それは死ぬことに尽きると自己発見したのである。そして、わたしは大安堵して、こうして木の葉隠の草庵で隠遁生活を送っているのである」という含意を、いかなる過不足なく盛り込み切っている。
 文は人となりと言うが、文はまた、思想である。


『武士道といふは死ぬことと見つけたり


この言葉は、イラクで亡くなったジャーナリストの橋田信介さんのWeb日記でも目にした。死ぬことが武士道なのではない。いつ死んでもいいという覚悟が、武士道の精神だと思う。死は、生あるものには必ず来る。そのための覚悟を、日常から意識づけていくことが武士道の死生観ではないのか。殺すことでもなく、殺されることでもない。あたりまえに来る死の訪れを自然に受け入れること。


自戒しながら、読み解く『葉隠