自発的に購読しているのだといえば、聞こえはいいが
目当てのひとが執筆しているのでなければ、手にする事は無い。
それはやはり,「武士道といふは死ぬことと見つけたり」の一節の右にでるものはない。
まず文章が見事である。私は物書きの端くれとして唸ってしまう。
――――中略―――――
原文は、端然とした歯切れの良いリズムを打ちながら、きわめて簡素ななかに、
「武士であることの根本思想は何であるかと、わたしはまさしく武士としての自らの生涯を賭けて探し、考えてきたが、それは死ぬことに尽きると自己発見したのである。そして、わたしは大安堵して、こうして木の葉隠の草庵で隠遁生活を送っているのである」という含意を、いかなる過不足なく盛り込み切っている。
文は人となりと言うが、文はまた、思想である。
『武士道といふは死ぬことと見つけたり』
この言葉は、イラクで亡くなったジャーナリストの橋田信介さんのWeb日記でも目にした。死ぬことが武士道なのではない。いつ死んでもいいという覚悟が、武士道の精神だと思う。死は、生あるものには必ず来る。そのための覚悟を、日常から意識づけていくことが武士道の死生観ではないのか。殺すことでもなく、殺されることでもない。あたりまえに来る死の訪れを自然に受け入れること。
自戒しながら、読み解く『葉隠』