ガールスカウト活動

長女が小2のときに関わって以来、次女、三女とともに通して9年お世話になっている、社団法人ガールスカウト。ボランティア団体だとか、宗教団体だとか勘違いされがちだが、子ども会育成会や、スポーツ少年団と似たような、社会教育団体が本来の形である。ただ、その子どもたち(スカウト)の指導は、独自のシステムで講習を受けた成人のボランティアで行われている。そのための機関誌もある。(ボーイスカウトは財団法人)


成人会員のための情報誌

OLAVE(No.4)

指導者は常に悩みながら支援してきたが、3年目は「できないことを嘆かない・眉をひそめない・しからない」そして「教えてみてできなかったら一緒に楽しくやってみよう。リーダー自身も失敗を恐れない」「指導者自らキャンプを楽しむ」を実践した。


ロールモデルになる」「スカウトにとって何がベストかを考えて行動する」「失敗するかもしれないことを見守る我慢」「スカウトの気づきや学びのために何が必要か」を考える事が、教育の質を高め、支援の質も高めることにつながるであろう。


学校教育と違うのは、今現在自分にできることをする。それを指導要項に入れていること。
最近、学校教育にも入ってきた「総合的な学習」とも似ているが、もっと実践的であり、指導者となる若い世代、あるいは母親層の生涯学習ともなり得る。大きなことをするのではなく、今自分でできることを考える。それが、ボランティアの本当のあり方である。


イラク生残記』第9章(勝谷誠彦著)

JVCが行っているのは、そうして感染症に必要な薬の供給なのであった。
アメリカが占領政策をきちんとやるならば、医療システムでもせっかくいい人材がいるんだからちゃんとしたソフトを与えればいいんですよ。イラクの復興は途上国のそれとは違います。じゃんじゃん物資を入れればいいわけではない。すでにある人材やシステムのどこをどう助けてあげれば動きだすかをきちんと見て援助しなくては」
途上国で活動してきたからこそ言えるH医師の言葉に感銘を受けた。

この体験があったので、私は帰国後に起きたあの日本人人質事件のときに、首をひねったのであった。
小児白血病の発生は確かに劣化ウラン弾のせいかもしれない。しかし、今ボランティアでなすべきことは明日にも命を失う子どもたちを救うことではないのか。
――――中略―――――
治安が事実上存在しない場所で絵本のネタを拾うという、その物事の優先順位感覚の異様さは、もっと普段から周囲の大人が諌めていいのではないか。


被災地や難民キャンプのボランティアは、きちんとした組織で動いている。そうでなくては、救援物資が停滞したり、人員が過剰になったりする。会社組織と違うのは、いきなり素人が大勢集まって、勝手な行動されるという余分な人事力が必要になることだろう。ガールスカウトは世界連盟にも所属している大きな団体であるが、その組織構成は、各国の地方最小のグループに至るまでには、どうみても胸を誇れる状況ではないことも確かではある。それでも、ひとつの学習方法として、子どもたちにとっては価値のあるものだと思っている。


とあるお父さん同士の会話
「おたくも娘さんがガールスカウトやっているんですか」
「そうなんですよネエ。これじゃ、婚期を逃しちゃいますよね」
ウーマンリブ運動と勘違いしてる。


ちなみに、『たのしいムーミン一家』を書いたトーべ・ヤンソンさんのおかあさんは、スェーデンのガールスカウト制度を発足させた仲間のひとりだったという。(『ムーミン童話の百科事典』より)


夏への扉』(ロバート・ハインライン著)の中に出てくるリッキーもガールスカウトだった。