国民保護セミナーinさいたま市

昨年は、浦和で行われ、今年は大宮。北関東は気温が低く、厚着をして行った。が、大宮へ着いたときには、セーターを脱ぐ。会場の確認をして、近くのコーヒーショップでランチ。暑かったので、ドリンクはアイスコーヒーを頼んでしまった。


時間まで、青山繁晴氏の『日中の興亡』を読み返す。長野で起きた聖火リレーの事件。日本の警察が、日本国民を除外したという。でも、あれで、日本国民が守られたんじゃないだろうかという考えもある。膨大な人数のシナの国の人たちを排除しようとすれば、おそらく暴動が起きて、聖火リレーどころではなく、死傷者まで出たかもしれない。それだけ、あの集団は異常に見えた。


世界の中の日本の位置。それを確認しながら、再読。


開場時間まえだったが、すでに入場している方もあり、わたしも早めに入る。講演会などで座る席は、だいたい、真中の横通路の上あたりと決めているが、部外者であることも考えて、後ろの方に座る。後ろでの利点は、会場全体を見渡せて、どんな方が出席されているのかわかること。年配の男性が多いのはいつものこと。今年は、女性の姿が少ない。若い方が少ないのは、平日の午後であるということもあるだろうか。


前の席に座った方は、学校関係の方らしい。会話から、それと読み取れる。後部座席からは
「この、青山さんの話は、おもしろいんだよ」
という声が聞こえてきた。おそらく、昨年も参加された方だろうと思う。


時間になり、開演。
第1部は、総務省消防庁国民保護室長 米澤健氏の講演。
行政の立場から、災害、有事の場合において、政府がどういった動きをし、自治体がどう伝え、住民がどう対処するのかといった動きを説明する。これは、何度も聞いてきたことなので、「そうなんだよね」と思うしかないが、実際に動いてみないことには、わからないことのほうが多いと思う。頭で考えることと、体が覚えることは違う。訓練が必要なのは、そのためだ。国民保護共同訓練の実地状況という図表には、予定を含めて、全国の地図に都道府県が色分けされている。大都市圏、原発を有する県などは行われているが、予定もない県は、これからということなのだろうか。危機意識は、つねに持ちつづけたいと思う。


第2部は青山繁晴氏の講演<ほんものの平和な地域を作る楽しみ>
始めに「昨年も参加された方は?」とお聞きになり、わたしを含め十数名の方が挙手。
「同じ話はなるべくしないつもりですが、同じ話をしたとしても、これは大事なことなんだと思って聞いてください」
そういって、青山氏ははにっこりなさった。きっと、後ろの方も頷いていたのだろう。
それから、本題に入る前に、北朝鮮に関する新しい情報が入ったという話をしてくださった。金正日総書記の治療に、日本の医師団が北朝鮮入りしたという。一瞬、それがどういうことなのか、理解できなかった。国交正常化していれば、それもあり得る。でも、そうではないということは、どういうことなんだろうか。


本題に入り、前回のように、会場内を走り回りながら、国民が自分自身を守るということはどういうことなのかをお話される。東京大空襲で、なぜ大勢の市民が亡くなったのか。これは、アメリカの戦争犯罪だとおっしゃりながらも、逃げる道が間違っていなければ、国民はもっと助かったのではないかと力説する。ドイツでの空襲では、日本より9倍の爆弾を落とされたにもかかわらず、犠牲者は日本と同じぐらいだったという話をし、聴衆に質問する。
「何故だと思いますか」
日本は木と紙でできている家で、ドイツは石だからという答えが上がる。
「爆撃されたら、石の下敷きになって死んでしまいますね。そうじゃないんです。ドイツは、何度も戦争を経験していて、どこに逃げたら安全か、研究していたからです」
日本は、そういった研究がなされていなかった。だれも、気がついていなかったとも言えないだろうか。


地震のとき、机の下に隠れるという訓練は、学校や職場でやった。でも、寝ているとき、火災にあったとき、買い物中、そういう想定をしたみたことはあったろうか。まさか、サリン事件のようなことはないだろうとは思うが、一度、電車内で前に座った男性が、ポリ袋を座席下に置いて立ち去ろうとしていた。あいにく、ドアが閉まってしまい降り損ねて、苦笑いしながら座席に戻ったのに出くわしたことがある。あれが、不審物として残されていたら、わたしはどう対処したらよかったのかと、ときどき思う。


熱く語りかける、そう、青山氏の講演は「講話」ではなく「語りかけ」ているのだ。正直申し上げれば、うまいという語り口ではない。でも、へたに脚色された原稿ではなく、その場の雰囲気と聴衆の目を見ながら、話される青山氏は、上からモノ申すのではなく、一緒に語り合おうという姿勢を貫いている。


時間が迫り、青山氏が必ず講演会では話すという「硫黄島での出来事」を語りはじめる。前席の方が、しきりに目元をぬぐうのが視野に入る。ふと思う。もっと実務的な活動はできないものかと。硫黄島の遺骨を、故郷に返すための署名活動ができないものなのだろうか。募金活動は、難しいかもしれないが。


予定時間を10分過ぎ、司会の方が質問を受ける。幾ばくかの方が、席を立ち、お帰りになるのが見受けられた。わたし自身も、帰りの電車の時間が気になり、帰り仕度を始めたのだが、何人かのかたが手を揚げられたのを見て、座りなおした。隣りの席に座っていた若い女性は、すでに席を離れていた。


3名のかたが、質問され、青山氏は丁寧にお答えされていた。
「幕僚長 田母神氏の論文についてどう思われますか」
という質問に、会場はどよめきたった。氏はきっぱりとおっしゃった。
「わたしは、その論文を支持しません」
論文の内容が他者からの引用が多かったこと、懸賞に応募して直接出版社に持ち込まなかったこと、自衛官は皆論文を書いていること、などをあげられてた。


もう一つの質問内容は、すこし気が急いていて、記憶にとどめることができなかった。


そして、最後の質問。

「窮鼠猫を噛むといいますが、今のテロはそんな感じがします。だから、中東のテロも北朝鮮も、そうなのではないですか。経済制裁をするから、北朝鮮の国民は困っているのをどう思われますか」
この質問された方は、北朝鮮が頑なに拉致問題の解決を拒み、核保有をするのを、経済制裁のせいだというばかりの勢いであった。そのせいで、北朝鮮の国民が困っているのだと。


青山氏は、ゆっくりと、そして力強くお答えになった。

「中東のテロにおいては、そういうこともあるかもしれません。とくに、民間人がテロを行なう場合は、そういうこともあります。イスラム教の経典コーランは、本来は女性を大切に扱っています。それが、女性のテロリストが現れたということは、どういうことでしょうか。イスラム原理主義の神学校には、本がありません。みんな、耳で聞いただけで覚えるんです。ですから、女性を大事にするということが、女性を外へ出さないということになっています。こうやって、女性がこういう講演会に参加することさえできないんです」
青山氏の目は、こちらをむいていらっしゃった。思わず赤面して、舞台に目をやると、日章旗が目に入った。日本に生まれてよかったと思った瞬間である。

「政府は、北朝鮮の国民を困らせるために経済制裁を行っているわけではありません。北朝鮮への輸出を禁止しているのは贅沢品や、お金の送金だけです。北朝鮮の国民が困っているのは、その体制が人民のことを思っていないからです」
その質問者の方は、なおも食い下がるように、「経済制裁北朝鮮を窮地に追いやって、うまくいかないんだ」というようなことをくり返す。青山氏は、論争の繰り返しを避けるために
「おそらく、あなたとわたしは、おなじことを考えているんだと思います。でも、政府がやっていることは、北朝鮮の国民を苦しめるためにやっているのではないんです。ありがとうございました」
そういって、質問者の方と握手をされた。会場は、大きな拍手に沸きあがっていた。


最後に、青山氏は
「わたしのことを大嫌いだという方もいらっしゃるかもしれません。それでも、わたしはそういう方たちも友人だと思っています」
とおっしゃって、深々と頭を下げられた。そして、舞台を去り際、掲げられていた国旗に向い、再び頭を下げられたのである。


まだ昼の明りを残していた会場の外は、思ったほど気温は下がっていなく、駅へ足を急がせると汗ばむぐらいだった。新幹線の中で、講演内容を思い出しながら、昨年よりはずっと人々の平和への思いが深くなっているんだなとぼんやりと考えていた。