「靖国神社」を訪ねてみる

右翼だとか、中国政府の反発だとか、とにかく取りざたされている場所。実際に見てみなくては、なんとも言い難い。

電車を乗り継いで、地下鉄の駅の階段を上っていく。いつもは方向オンチを自覚するべく現状なのだが、今回は迷うことなく靖国神社にたどり着いた。

南門から入り、拝殿を参拝、遊就館を見学。
戦争博物館」とか「軍事博物館」とか言われているけれど、「近代史博物館」とも言えそうだなと思う。「攻略」を「侵略」と置き換えれば、まったくの偏見もない史実のみを展示したものだと思う。タイで見た「戦争博物館」となんの変わりもない。だからこそ、アメリカの人や中国の人が嫌悪を抱くのもいたしかたないんだろうなと、想像する。また、今の日本の状況が、戦前と酷似していると思うひとがいるという理由もわかった。


靖国神社へ来て、再度「右翼」とか「左翼」というレッテルの中身を考えてみる。「右翼」というのは排他的国粋主義者のことをいい、「左翼」とは似非博愛主義者のことだと思っていた。『SFマガジン』(2007年10月号)でディビッド・ブリン氏が「スカイ・ホライズン」という作品の中で、クレメンツ先生と言う登場人物にこんなことを言わせている。
“クレメンツ先生は続けた。「権力を疑え。それがメディアの伝える物語に充満するテーマだ。小説もビデオも。主要登場人物は、奇抜な個性、敗者としての逸脱性、強い独立心などの持ち主として描かれる。たとえ出身が貴族やお姫さまでもそうだ。対立するのはどちら側の権力でもかまわない。作家や監督が政治的に右寄りであれば、敵は政府や知識人になる。左寄りなら、非人道的で顔の見えない大企業になる。悪辣な麻薬王とか、海外の大国とか・・・あるいは宇宙からの脅威とか」”

いま現在における日本の右翼、あるいは左翼は、どういう立場にたっているんだろうか。単に、お互いにラベルを貼り付けているだけにすぎないんじゃないんだろうか。そんな風にも思う。

神道」は死者を神として崇め奉る。が、今の時代の死者が「神」として崇められるほどの信念を持っていたんだろうか。英霊と呼ばれる方々の写真を拝見しながらそんなことも考えた。彼らは戦争をしたかったわけではない。それは、原爆で亡くなった方々も同じだと思う。

「戦争を回避する方法」は、常に考えていかなくてはいけない。「右翼だから」「左翼だから」と意見の違う相手を批判するだけでは無意味だ。

靖国のハトはほんとに真っ白だった。

ミュージアムショップで、ミニ国旗と靖国の桜が閉じ込められたアクリル印籠を購入。わたしのパソコン周りは、疑似右翼と化している(笑