『唐詩新選』陳舜臣

高校の頃、『詩経』を読んでいた記憶がある。なんで、そういうものを読もうと言う気になったのか。それは、政治経済の教師が
漢詩も、お経のように見えるけれど、その内容は恋愛だとか、悩みだとか、君たちと変わらないようなことが書いてあるんだよ」
といっていたことがきっかけだった。

あれから、詩歌とはかけ離れた生活をしているが、古本屋でレジの前のかごに1冊100円均一で並べられているのを手にした。日ごろ、軽い本ばかり読んでいるから、たまにはこういう刺激もよいだろう。

漢詩も難解だが、解説も引用の漢詩すべてを説明してくれているわけではない。書かれた時代背景や、作者の心情、季節の風習を説明する。

興味をもった記述があった。王梵志の詩を取り上げて、なぜ、『全唐詩』に収録さえなかったのかと。

王梵志の通俗詩を大衆文学とすれば、李白杜甫はさしずめ純文学であれろうか。敦煌のような田舎では、純文学に親しむ人はなく、みんな大衆文学をたのしんだのである。それほどよろこばれた王梵志の通俗詩がなぜ亡乙佚してしまったのか?これは滅びたと形容してよいだろう。そのころの俗語をふんだんに使っているが、当時あってはわかりやすかっただろうが、俗語ははやりすたりがはやい。時間がたつと、わかりやすかった部分が、かえってわかりにくくなるものだ

現代の日本においてもそうなのだろうか。流行作家は、忘れ去られるものなのだろうか。