毎日同じ間違いをしているような

今日は端午の節句
いつものように、山菜おこわを作る。それから、仕事。

先月下旬よりは客足は少ないかな。それでも途切れることは間々。お客がいない時は、商品の補充がある。値札をつけて、商品を並べる。でも、品数ありすぎ。農家相手の専門店。農産物の種類って、こんなにあるのか。それも、1種類の野菜を育てるのに、こんなに道具が必要なのか、という具合。

ただ種を蒔けばいい、わけじゃないんだよね。

勝谷さんのWeb日記を読んでいて、度々気になっていたのは「よく生きる」という言葉。わたしは「ただ生きる」と表現するけれど、もしかしたら同じことなのかな、なんて思う。「よく生きる」ということが、富や名声を得る事のみに奔走する人生だということだはなく、つまり今の「生活」より楽になることが「よく生きる」ことなのではないのだということなんだな。

「ただ生きる」ということは、惰性に任せて、何も考えずに落ちていくことに流されていくことではなく、無心におのれの足元を確認しながら生きていくことだと思う。「生きる」「行き続けていく」ことが最低限の生き方だと。「生きる」ということ事体が、簡単な事ではないと。あえて、その荷物を背負ってみたいと思うのである。

な~んて、かっこよく書いてみるけれど、今の生活を維持していくのが精一杯の自分。そんな自分が健気だね(^^;