四方の山々は雪景色

雨が雪にならなかったものの、山は白くなっている。こういう景色は、とても珍しい。

なんとなく、ダンナが相手をして欲しがっているとは気がつきつつ、忙しいので無視。洗濯物を干してもらうのを次女に頼みながら、コミュニティーセンターへ、三女と共に。参加者33名中、5名ほど不参加。連絡くれよ。それでも、なんとか作業はスムーズに進む。ゲームはビンゴ。残った賞品で、じゃんけん。ああそうか、じゃんけんの勝ち負けが理解できないひともいるんだ。わたしと同年代の障碍者も、まるで三女と同じ感覚。親世代も、健常者の子供がいる場合はいいが、そうでないと自分の子供が精一杯で他の子供ことは意識に上らない。親も自己中になってしまうこともしばしば。親がついてこられないので、サポートケアの方が2名参加。ごく自然に親代わりをしてくださる。

誰かの役に立てる。自分の存在価値がわかる。それが自信に繋がるのは、障碍者も健常者も同じ。あなたは、自分以外の誰かのために生きていますか。

スマトラ沖地震の被害者を捜す家族。三女が
「生きているかどうかわからない家族の死体を捜すのって、精神的にたいへんだよね。死体が見つからなかったら、生きているかもしれないって期待も抱くし、かといって生きているのを探し出す方法もないもんね」
「だから、それって、拉致被害者の家族も同じ気持ちなんだよ」
三女は納得していた。

スマトラ沖地震津波被害の大きさは、広島に落ちた原爆の10分の1だという記事も読んだ。その被害に、世界各国は、手助けしてくれたのであろうか。そんな過去も思ってみる。犠牲者は民間人だったんだよ。海外に遊びにいけるほどの裕福な国民を救うのか、日本で地道に生活している災害被害者を優先するのか、命に貧富はないのだけれど。

ただ生きていることもむなしくなるような現実。ま、いまさら死ぬのもしゃくだけれど。