療育手帳

障碍のある子供を育てる時に、その障碍の度合いによって療育手帳というものが保護者に受理される。これが、18歳以上になると「障害者手帳」となって、本人に手渡される。

三女は中3。来年度、高等部へ進学するにあたって、療育手帳があったほうがいいだろうということで、申請のための審査へいく。
児童相談所がその場所である。夏休み中にと思ったのだが、電話したときは、すでに予約がいっぱいで、今日になってしまった。

午後1時の予約で、最初に相談員の女性職員との面談。約1時間半かかった。
知能診断だったのだろう。生活面ではほとんど心配ないものの、数式、会話能力といったものには不備がありそうだ。結果、IQ43。

次に、病理診断。医者が、医学的に診断するわけなんだが、診断してくれる医者がかなり年老いている。先に、療育手帳をもらった知人が
「ひとをバカにしたような、腹の立つ医者だったよ」
と言っていたっけ。
医者「これ、何て読む?“赤城山”」
三女「あかぎやま」
医者「おお、そうか、読めるのか。で、これは?
医者はそばにあった家庭医学辞典を指差す。
医者「なんだ、わかんないんか。今日きた小学生は読めてたぞ」
嫌味か?・・・いや、何度か会話してるとその皮肉めいた言葉の裏に
「やる気出せば、もうすこしなんとかなるんだぞ」といったエールの
思いが読み取れたのだ。

その結果、三女の障碍の度合いは2級となった。軽度との違いは微妙だが
2級となると「特別扶養手当」が支給される。
ここで、いつも疑問に思う。親の所得ももちろん審査されるが、
障碍がある子供を育てるからと言って、特別お金がかかるわけじゃない。
本人が独立して、自分で生活をしなければならない時には、障碍が
就職するための障害となりうる。そのためには保証が必要かも知れない。

もちろん、障碍のある子供の親が高所得者とは限らない。どちらかと言えば
教育費にお金をかけられない所得層のほうが多いと感じる。

うちは「特別扶養手当」をもらっていいのだろうか。そのお金を、三女のためにどうやって使えばいいのだろう。

「障害者」というレッテルは、どういった障害をもたらすのだろう。