午後2時.三女の相手の両親との懇談.

就業先の会議室を借りて話し合い.
先方のお母さんとわたしの気持ちは同じだなと思った.だから,「一番いい方法」なんていうのは見え透いた言い訳で,ずっと先の将来を考えたら,当事者の意見を受け入れるわけにはいかない.

当事者に,未来を見据えるという能力はないのだから.


他人に言わせれば,「フォローすることは可能ではないのか」とか
「行政の支援を受けることも可能ではないのか」とか「障害者にも人権があるのではないか」という意見もあるだろう.

でも,それは部外者の机上意見だと思う.

行政の支援は,政策が変われば受けられなくこともあるし,親族の支援だって,親が死んでしまえばどうなるかわからない.第一,三女が親の自覚をもって子育てできるとは思えない.

結論.三女に子供をあきらめてもらう.(ほんとに,まったくわかってないことに救いがあるというか,不憫だというか・・・)相手は,「子供はほしい」と思っているし,三女のことも気遣ってくれている.「遊び」の気持ちはまったくなかった.そう感じられた.だから,相手を恨む気持ちも,押し付ける気持ちもない.

命はどこから来て,どこへ帰って行くんだろうか
いずれ,わたしもその道をたどる