立春、日差しは暖かいが、気温は低い

いつもの週明けの朝

三女の受験結果を見に行く。合格。
受験番号1番から13番まで、順番に並んでいた(^^ 受験できるということ事体が合格基準なのかもしれないな、と思ってしまう。

先だって取り寄せたCDを聞く。「矜持」(エーレイライズ)
「なにそれ。その右翼みたいな歌詞は」
聞いていた長女が笑っている。いや、右翼って、国粋主義で排他的でしょ。この歌詞は、べつに排他的とも違うと思うけれど。

午後、三女の学校へ行き、合格の報告。受験票を受けとって、合格通知を受け取りに行く。

買い物をして、夕食の用意。風邪気味で寝ていた義父を起こして、夕食。

次女が帰って来て、CDを見ている。
「なにこれ、右翼のCD?」
いや、歌っているひとたちはそうは思っていないみたいだよ。
「でも、どうみたって右翼じゃん」
次女はサヨクか? とりあず、右とか左とか考えること事体がめんどくさいというのが、いまどきの若者なのかも知れない。で、考える人間は、右方向に行ってしまう、のかな?

でも、よく考えたら、右翼とか左翼とかいうレッテル自体がおかしいのかもしれないな、とも思う。